郷愁

さようなら、もうお目にかかることもありません。

故郷をもたないということ

かえるところ

昔は文章を定期的に書いていた。
小学生低学年のときは、自分の気持ちを打ち明ける相手がいなかったので、日記をつけていた。
それが小学校3年か4年のころ、パソコンが買い与えられたことをきっかけにブログになった。
確か、高校3年くらいまでは定期的に更新していたと思う。

高校卒業後は専門学校に入ったころからTwitterが主な文章表現の場になった。
そのせいか、自分がどんどん「文章」というものを書けなくなっていることには始めた当初から気付いていたが、Twitterをやめなかった。
文章構成を考えず、短文で散漫に、思いつくままに自分の気持ちを吐き出せることが心地よかった。

だが今になって、思ったのだ。Twitterは自分の気持ちを記すのに適した場所ではないと。
そこでブログにかえることにした。それが本ブログの開設理由である。

故郷をもたないということ

天涯孤独であるとか、出生について国籍や人種的な事情があるというわけではないが、「故郷」といえるものが存在しない。
帰りたいと思う土地や、コミュニティというものが存在しないのである。
だが、不思議なことに、たまに猛烈に「かえりたい」と思う。スラヴ叙事詩を見たとき、ショパンノクターン11番を聞いたとき、「かえりたい」と思うのだ。
でも、かえるところなど、どこにもないのである。「かえりたい」という感情は行き場もなく漂い、消えるほかない。

卵が先か鶏が先か

言葉というものは不思議なもので、たびたび、ある概念をあらわす言葉を先に習い、その概念は実感したことがないということがある。
自分の場合は「憎しみ」である。
何がきっかけかは忘れたが、あるとき「これが、まさに、憎しみの感情なのだ」と深く納得したことがある。
発生した感情が、いままで空っぽだった概念にぴったりはまる瞬間。そういうときに、言葉とは心底面白いなあと思う。