郷愁

さようなら、もうお目にかかることもありません。

他人を自分の中でどう折り合いをつけるのかという悩み

生きることが苦手

生きることが苦手。その一言に尽きる。生きる目的にお金がかかりすぎるし、できるだけ美しい人間でいたい理想と現実の自分とのギャップを受け入れることができない。どう生きたら幸せになれるのかのビジョンも持てない。

他人に期待しないということ

よく他人に腹を立てる。自分の思い通りに行動してくれない他人に腹を立てる。
そういう気持ちについて考えていると、自分のなかで「他人に期待するからでは」みたいな気持ちが生まれるのだが、他人に期待しないというのは現代のシステム的に可能なのだろうかとも思う。お金を払ったら商品が手に入ることを期待するし、働いていたら仕事が他人に頼んだ通りに遂行されることを期待するのが当然ではないのか。
もちろん、言葉にしていないことを察してくれと期待するのは成功率が低くなりがちだしよくないことだと思うが、言語の上で了承されたものや金銭のやり取りが発生しているものは遂行されて当然ではないのか。
人は自分の利益を最大化するものだし、了承しておいて遂行しないのが個人の利益の最大化だということも理解できる。ただ、それを前提としていたら現代のシステムが成り立たないではないか。だが現実的に他人に期待していても裏切られることはよくあることである。どう考えても人が嫌いになるばかりである。みんなはどう折り合いをつけているのだろう。

良いところだけの関係

できるだけ他人の良いところだけを見ていたい。自分は音楽や芸術が好きなのだけど、まさにそれなど他人の良いところだけを切り取った形であると思っている。そういうような形での他人とのかかわりあいをしたい。仕事の関係でもそうである。自分はできるだけ仕事での良い面だけを会社で提供したいと願っているし、他人もそうであってほしい。
いいところがない人間はほとんどいないと思っている。生きてるだけでほとんどの人は労働力として存在が可能だし、献血とかもできる。他人が嫌になってしまうことのほとんどの理由は、良いところを上回る悪いところを見せられるからだ。その人から得られる良いところより、悪いところを上回ると人のことが嫌になってしまう。できるだけ悪いところを見せないでくれ。自分も頑張る。